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家電

電子レンジがやって来た|懐かしい昭和の備忘録

私の記憶にある初めての電子レンジは、小学校高学年か、もしかしたら中学時代かも知れません。一般家庭に普及したのは、大阪万博を過ぎた頃だった様です。元々が軍事技術であったかどうかまでは分かりませんが、アメリカで開発され、私の生まれた昭和36〜7年頃に東海道新幹線のビュッフェに採用されたのが最初でした。やはり白物家電であるためか、男の子に強烈なインパクトを与えるほどではなかったみたいです。それでも、電子レンジの登場が、私たちの食生活を大きく変えたのは間違いありません。

 

ツードア冷凍冷蔵庫の出回った頃と時を同じくしていたのでしょうか。「冷やす冷蔵庫」の上に「温める電子レンジ」が鎮座する様になりました。食べ物を温めると言えば、「直火」か「湯」「油」しかなかった時代を、手軽な「電気」まで使える時代へと変えて行ったのです。もう冷やご飯を毎度の焼き飯にする必要はありません。お茶漬けや雑炊にしなくても、食べたい時に炊き立てのホカホカご飯にする事が出来たのでした。

 

電子レンジの普及は、冷凍加工食品にとっても追い風となりました。家庭用冷凍冷蔵庫自体が進化した事や、瞬間冷凍の技術が大幅に向上した事と相まって、新たな商品が次々に投入された市場は、爆発的な急拡大を続けて行ったのです。家庭で、本格的なプロの味や、面倒な手間ひまを省いた完成品を味わえる様になりました。弁当のおかずや、夕食の一品が「チン!」に置き換わって行ったのです。

 

事故も多発しました。プラスチックなどの溶けた容器で火傷をしたり、せっかくの食材が過熱し過ぎて破裂したり、中には、シャンプー後の愛猫の毛を乾かそうとして電子レンジで焼死させた事件まで起こりました。PL法もなかった時代、消費者のちょっとした誤解が生んだ痛ましい悲劇的な出来事です。

 

サランラップの登場も、食材や料理を小分けにして、冷凍した物を後日に温め直すと言うスタイルを定着させてくれました。臭い移りや冷凍焼けの劣化も大きく改善され、安心で効率の良い長期保存が可能となったのです。

 

今や、電子レンジなくして、私たちの食生活は成り立ちません。そう言っても、言い過ぎとはならないでしょう。しかし、その一方で、旬の味、旬の素材が曖昧になって来たのも事実です。以前は、その時期にしか食べられない物だからこそ、美味しくて価値のある食材がたくさんありました。現在は、必要とあらば海外からでも運んで来る時代なのです。

 

私が小さかった頃、母は、川の土手で積んだ土筆(つくし)を甘く煮て、卵とじにして食べさせてくれました。だから、春には姉と二人で土筆を取りに行く。堤防のあちこちには似た様な子供たちが大勢いて、互いに競い合いながら春の麗らかな陽射しを満喫していたのです。旬とは正に、こうした忘れ難き思い出を伴うものなのではないでしょうか。

 

私には、質素な料理と共に刻まれた、母や姉との刹那的な記憶が残っています。ただそれだけで、豊かな少年時代を過ごしていたのだと、今こうして昭和の時代を懐かしみつつ感謝出来るのかも知れません。

  • 2015.12.20 Sunday
  • 19:31

家電

ビデオデッキがやって来た|懐かしい昭和の備忘録

わが家に、と言うより、私の部屋にビデオデッキがやって来たのは1976年。キャンディーズの解散コンサートの前年のことでした。確か、SONYのβ方式だったと思います。

 

とにかくデカい、重い、そう記憶しています。現在のDVDプレイヤーとは比ぶるべくもありません。当時は1本4,000円以上もしたビデオテープを出し入れするにも、それなりの時間を要する難物でした。しかも、今にして思えばバリバリの中古品だったのでしょう。ワクワクどきどきしながら録画した番組には、再生時に薄いボーダーのラインが一面に入っていたのです。父は、あくまで新品だと豪語していました。真相は定かではありませんが、当時のお金で20万円近くもはたいたと嘯いていたのです。

 

その頃の我が家は、中流家庭のやや上の暮らしをしていた様です。無類の映画好きの私が、あらゆる手練手管を駆使して、息子に甘い父親を口説いて手に入れたのでした。何はともあれ、念願のビデオデッキがやって来たのです。夜も眠れないほど興奮していたのを覚えています。

 

初めて録画した映画も忘れていません。あの「荒野の七人」でスティーブ・マックイーンらと共にブレイクしたジェームズ・コバーンが主演で、4人のスリ仲間が見事なチームワークを見せる話を描いた「黄金の指」と言う作品でした。何度も何度も再生して、セリフを丸暗記していたほどです。ビデオテープが高額な時代に消さずにおいたのは、15歳の少年にはちょっと刺激的なお色気シーンが散りばめられていたからでした。

 

もちろん、キャンディーズの解散コンサートも録画しました。こちらも、私にとってはお宝映像となったのです。好きな時に繰り返し見ることができる歓びと、じっくり確認したい場面を“静止”させられる便利さは、当時の私を夢中にさせたのでした。

 

映画雑誌「ロードショー」や「スクリーン」から切りぬいた画像や記事を、保存版のテープの箱に貼ってコレクションを始めました。一番のお気に入りは、007シリーズとブルース・リーです。007は、やはりショーン・コネリーの「ドクター・ノオ(007は殺しの番号)」「ロシアより愛をこめて」「サンダーボール作戦」「ゴールド・フィンガー」「007は二度死ぬ」、それに「ダイヤモンドは永遠に」。残念ながら、ジェームズ・ボンドが結婚する「女王陛下の007」は、ジョージ・レイゼンビーの不人気から、私の知る限りテレビで放映される事がありませんでした。ブルース・リーは「燃えよドラゴン」から「ドラゴンへの道」「ドラゴン危機一髪」「怒りの鉄拳」まで、超人的な強さと、どこかに漂う哀愁とに魅せられていたのです。

 

ビデオデッキの登場は、インドア派の娯楽の幅を格段に広げてくれました。昭和のテレビライフは、「かじり付く時代」から「撮り貯める時代」へと急激に進化して行ったのです。

  • 2015.12.15 Tuesday
  • 16:12

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