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夢の大阪万博|懐かしい昭和の備忘録

太閤秀吉がこの世を去って大阪城が落城して以来、大阪が、いえ、関西が三百年ぶりの面目躍如を果たしたのはこの時でした。日本中が、得体の知れない熱狂の渦に巻き込まれて行ったのです。

 

三波春夫の「こんにちは〜、こんにちは〜、世界の国から〜♪」のリズムは、今でも多くの皆さんの耳に刻まれているに違いありません。日本館をかたどったEXPOのマークや、各パビリオンの外観を刻んだ記念コインなど、猫も杓子も、老若男女も、みな何かしらの憧れを手に胸を躍らせていたのではないでしょうか。まさに日本の歴史上、最初にして最大の、国民参加型の壮大な国際イベントだったのです。総来場者数が6,400万人。当時の人口が、ようやく1億を超えた頃だったことを鑑みれば、如何に凄まじい人気であったかが分かります。一目、あの「太陽の塔」と「月の石」を見ようと、日本中から大挙して観光客が訪れたのでした。

 

パビリオンと言う単語を聞いたのも、殆どの日本人が初めてだったと思います。テーマパーク慣れした今の私たちとは違って、独創的で大掛かりな各国のパビリオンに度肝を抜かれたのは確かでしょう。1,970年と言えば、今から46年も前。私が9才の時でした。父の運転するダイハツフェローで、たった一日限りの日帰り訪問だったのです。

 

後に紐解いた写真に残されている以上の記憶はありません。ただ、ガラスケースに収まった月の石が、思っていたよりも小さかったこと位がLIVEな記憶でしょうか。大阪万博を楽しんだのではなくて、行って来たと言う事実だけで十分な時代だったのだと思います。

 

今でも、多くの方々があの万博を語り草にしています。高度経済成長の真っ只中、国民総中流社会と言われた団塊の世代が、金の卵として社会人デビューを果たした頃でもありました。日本のサムライ企業が、先進国を席巻して行った時代だったのです。本当に、国民の一人一人がパワフルで、“未来”と言う言葉に無限の可能性を感じていたのでした。

 

あの少年少女が夢中になったパビリオンたちが、今も一部、国内にあるのをご存知でしたか。まるで空飛ぶ円盤を吊り上げた様なオーストラリア館は、三重県の四日市市の湾岸地域に移設されました。国道を走れば、あの懐かしい形が目に飛び込んできます。確か展示公開されていますので、気になる方は是非訪れてみて下さい。それ以外にも、全国には譲渡されたパビリオンがあちこちに残されている様です。

 

  • 2016.01.24 Sunday
  • 18:19

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